【Loohcsアカデミー第12回】歴史学①ー歴史ってそもそも?

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どうでしょう。
はい、LOOXアカデミー始まりましたLOOXアカデミーの時間ですL草刈には歩くスポット学院やルークス私塾が日頃行っているコーヒーをラジオで配信しちゃおポッドキャストで配信しちゃおうという、そういう趣旨の番組なんですけれども、ですね通称LRとも呼ばれているのですねはい覚えていただければと思いますが、はい、はい。
ということで今回はですね歴史学、あるいは歴史とですね、うん。
やっていきたいと思うんですけれども。
はい。
はい。
歴史はどうですか、押切まずスピーカー大丈夫ですか。
うんはい。
スピーカーはですね複数社取締役の谷口と、学生の一種ですよろしくお願いします。
お願いしますっていうことですね。
どうですかね、歴史関心ございます歴史って結構ね、いろいろ関心。
あったりするじゃないですかはいはいのに出ないと戦国時代とか三国志とか、それこそ今だったあのキングなはいはい、なんだっけ。
キングダムはソンジュン戦国時代ですね。
うん。
ていう感じで結構戦国時代系が好きだったりとか明治維新とか幕末とかね。
うん。
はいあれもちょっとあれですけどそういう感じです。
だったりとか、うんそういう時代で結構日本でもよく小説にされてる司馬遼太郎さん+はい1.3とか、うん。
そういう吉川英治さんが支配そういう人たちがですね小説でもして結構根強いファンみたいないて結構漫画でもそうっすね僕をおばあちゃんに宮本武蔵読まされましたね吉川英治のはい。
吉川上海指数を読まされました。
僕も小学校のとき読んでたんですけど、
はい。
ていうのでいろいろあるんですけども。
うん。
ちょっと僕の何だろう。
話になってしまうんですけれども、結構僕なんか小学校の頃ですね三国無双とか流行ってですね、PSPとかでやるさあですね三国志とかですね、はい学校あっちはやてですねうん。
結構歴史好きみたいな人も多かったんです方法ます。
信長の野望といいんで、そうですね。
あとわあ曽田三国志とか戦国時代とか結構ゲーム化されます。
うまくって、うんそういう意味でも結構好きな人が多かったりするんですよね。
うん。
そんなので日本人結構歴史好きな人が多いと思うんですけど。
うん。
どうでしょうか?僕自身か、僕自身ランクスあんまり歴史に興味がなくて、そう小さい子なんかわかんないすけど、なんか無理やり何かいいなんか吉川英治とか読まされて、なんかちょっと長い、こんなんだろう連続する物語とかがなんかちょっと苦手になっちゃって、そっから歴史みたいなものを、何だろうに熱中したっていうのは、もちろんその授業とかで書きましたけど、熱中したっていうのはないですねしいて言うならこれ、歴史と言えるのかわかんないですけど、三島由紀夫をちょっと何だろう、いろいろ調べてまして、高校時代にその近代史っていいますか、大体戦後から今までの昭和の昭和史みたいなものを、そうっすね。
いや、なんかやりや学びましたそれにちょっと熱中したぐらいですかね。
はい。
庄氏も結構好きな人多い分野では、うん。
春秋戦国時代三国志三国時代明日、戦国時代幕末昭和史みたいな、結構好きな人が多いと思うんですけども、そういう感じで、あの歴史で結構ね、大事な人気もありますし大事な分野ですけども、そもそも何かこう歴史が何なのかっていう話はそんなにね、別に特段するわけでもないと思うんですね何かどうやって調べてるのとかね、確かにどうやってこう再構成されてるか、もちろん歴史小説とあくまで小説なので、はい。
別に石橋さんとか言われたりするわけですよね。
司馬遼太郎のあの歴史館、うん。
そういう石橋館みたいなその小説家が結構歴史館を日本で作ったりした。
もあったりして、結構歴史っていろんな人が参入できるからこそ、ね例えば歴史認識の問題とかでも結構いろいろね、政治的な問題になったりもするわけですよねそうですね、それは何かまた小説家もそうだし歴史学者もそうだしでもその一般の市民の人たちも歴史興味あれば何か自分たちでちょっと調べたりとかして、いろいろね、歴史認識の相違とかも出てきたりとかして、うん、結構なんだろう。
きちっといろんな領域にまたがって、あの展開される営みなので、なるほど、そういう意味でもやっぱりこうね一口に歴史といっても本当いろいろな見方というか、ものがあるので、これからその具体的なその歴史みたいな話は、これ何時代がどういう時代だったとか含めてですね、話していきたいんですけどそもそもそういう歴史って何なのみたいなところが
わかっていないと、あるいはその歴史ってどういうふうに作られるというか、ね、まとめられるのかみたいなところとかも、こう話していかないと、なんかこうね、例えば教科書に書いてることが本当に他あれはかなり事実に近いそもそも歴史学において事実って何なのかっていうんなりますし、ちょっとメタ的な、なんていうかな、第1回なので、歴史について考えていければなというふうに思っております。
うん。
ていうことで歴史って何なんだって話なんですけど、歴史ってまたいつものようにざっくり損なってますけども、歴史って一体何だと思いますから、歴史、歴史って何だと思いますかって言われて、うん。
ぱっと思い浮かぶのが、なんで年表みたいなことですよね。
はい。
要は何だろう、旧石器時代にとか、うんそれこそ戦国時代にみたいな平安なんか何があったみたいな、みたいなことを、の、要は列挙と言いますか、時系列順の何だろう。
何か事実の何だろう。
何て言うかな、蓄積みたいなイメージが僕にありますねはいそのいわゆる編年体って言われるやつですね。
中国ではですね、中国の歴史書にいわゆる編年体って何年に何がありました。
うん。
紀伝体っていうものがですね、綺麗とつまりあの英雄とかそういう重要な人物が人で彫るみたいな。
だから人で掘ると、そのね紀伝体みたいな感じになるし、だからあの電気みたいなやっぱ歳で掘るとそういう年表みたいな感じになるしっていう。
うん。
今のでも割とこうね、何に注目して歴史をを構成するかによって、人に注目するのか。
ね、ある年について注目するのは違うんでぼ食うあの何か、その戦前の歴史の教科書ですね日本はい前もお話したと思うんですね。
うん経今の日本の歴史の教科書って基本的に編年。
大チックですよね、完全に絶対とは言いませんけども、基本的に基本的にも所なんか旧石器時代から平成まで、のんべんだらりとっていうか記述が、技術的な何だろう、歴史、が、何だろう。
積み重なって、うんいるっていうので、そんなのもあってですねどうしても暗記科目みたいな、うん。
になってしまった側面ありますよね何年に何が起きたか何が起きたとか、何年に誰々が何をしたとか、その誰々のところが空欄になって進めましょう。
うん。
そういうイメージですね。
ていうね。
だから暗記が苦手な人は歴史もちょっと苦手があるいは何か小説の歴史は面白いと思うけどなんか授業をとかそういうのもあるとは思うんですけども。
戦前の日本史の教科書とかって結構紀伝体チックなんですよね、方っていうのも、なんかこう、織田信長とその時代みたいな、織田信長がいかに革新的なことをしたかとか、何か楠木正成とみたいなあの南北朝の時代とかなんかそういう感じで構成されたらそれこそ信長の野望みたいなことを教科書でやっちゃうとですね、うん神武天皇が云々、チーム天皇と日本のあけぼのとか、うん。
そういう感じで結構だから、なるほど。
言葉を選ばずに言うと結構面白いという読み応えがあるというか、物語性がそうそうだ。
物語性が熱伝達、まさに熱電形式になってるのが、程度で結構戦前と戦後でもずれたりするんですけどただそういうある種の歴史の先生の歴史教育がある種日本のナショナリズムをコンシューマーが焚きつけていたというふうな批判とかもやっぱりあってですねなるほど、持田って事務天皇がまさに実在した。
そうですねいう話でもうまたどんどんそれそれはうん。
というようなところから始まっていくので、うん。
基本的にやっぱり店のというものが、の歴史がベースにありながらそこに各時代の何か10人物がいます。
うん。
そういうある種の日本の歴史観を作る上で、ある種んちナショナルスティックな、かなりナショナルスティックな歴史が作ったという批判と完敗を考えたって、終身とかもそうですけどねそれで一旦解体されて、日本の教科書って基本的にはですね、とても平板な記述ばかりのものになっていったというふうな経緯があった。
どうやってするみたいですけどあとは特に特に近現代の歴史になると、とても技術がね、言葉一つ例えば侵略侵攻とか寝室とかですね、うん、中国大陸、うん男の信仰進出なんか例えば、っていう話1個でもうんかなりここの、2単語とかにも一つでもかなりこの論争になるというか、侵略はしていないあるいは進出なんだとかね。
うん。
そういう何かあればその中国とか韓国とか都の歴史認識の大盛り合わせとかもあったりして、うん。
かなりもう、あの、突っ込んだ記述はしないっていう
うん。
なぜなら、高校を志望してこうしてこうしてこうしてこうだった、この結果なんだよってことなんだと。
そういう感じの記述にどうしてもなってしまうって言って、言い方あれですけどある種解釈にいろいろ不一致みたいな起きないために、無味乾燥なものにしているみたいなところ側面があるってことですよねそうですね。
ていうので、ただなんかフランスとかの歴史の教科書とか見ると、結局全然作りが違ったりするんですよね方。
うん。
ていうのも、なんか結構いわゆるアクティブラーニングという場合っていうようなこといろんな資料がバンバンバンバンってあって、このその資料を見ながら、何かこの時代どういう時代だった考えてみようみたいな、とかですね、あとはやっぱり日本って結構すごいなんだ所9世紀時代からこの近現代の歴史まで、サラーって言って何か特にアクセントが置かれることはないじゃないすか。
うん。
ここの時代特に分厚いとか、うん、とかじゃないんですよねやっぱりフランス革命のところとかすごい部は作ってみたい。
へえもちろん多分いろんな出版社あるから一概には言えないんでしょうけどやっぱり何かある歴史のフランス紙のMomentみたいな、例えば第一次共和制とかあとあればね、あのさ、7月革命とか、その2月革命とかそういうあるいはそのシャルル・ド・ゴールからその後レジスタンスからとかその何かプラスにとって重要そうなところはすごく熱く書かれていたりとか。
なるほど多分あるんでしょうね。
そういうのも違ったりとかして、やっぱ全然違うんですよ。
多分それはやっぱりそのある歴史観に従って歴史の教科書が書かれているはずなので、そういうのでも歴史ってもう全然だから、各国によって履歴書等を扱うかも全然違うし、それは
日本の教科書こうねアクセントとか言ってたなんていくっていうのは、この博物館に出てますよね。
日本のね博物館とかも基本的にあの東京国立博物館東伯ってやつけど、ああいうとこ行っても、もうあそこの旧石器時代から現在まで何か、だなあっていうか、どこにアクセントがあるわけでもなくこれはこういう時代ですから、家に対してこれ車で何かこういうあの遺物が発見されてますとか、そういう感じになるんですけど、なんかいいこれもフランスとかドイツとかのNationalMuseumというかですね博物館行くとやっぱりここでも、力点が置かれてるとこは結構ちゃんとあって、方法、だからそのある種、何か中世の時代とか、その前の古代の時代みたいとか、多分あんまりドイツっていう国とかフランスという国ができた。
多分彼らにとっては18世紀とか、そういう認識だと思うんですよだからそこに至るまではなんか結構なんか本誌なんか、なんかこう、ブチャってなってて、うん、別に何かいろんなこういうことやってました。
段々30年戦争とかですね、アウターが出てくるとか1517円とかですけどねさあ次のSS1618円始まってとか、あのウエストファイア体制ができて、とかで何かその後プロイセンがあってとかなんかそういう感じになってくるとどんどんどんどんなんかこう、分厚くなるっていうか、そういうの全然やっぱりだからある種の国の歴史をどう扱うかみたいなんでも、教科書博物館作りとか全然違ったり、うん、しますよね。
やっぱりそれは何か例えば日本っていつからいつ出来た国ですかとか言われたら、どう答えますかとかそういう話も難しいですね。
うん。
うん、どうぞちなみにどう思いますか。
今の現状日本って形で考えると、沖縄戦変換
5みたいなるほど。
うん。
それじゃ生じゃもう1970、ついこないだ50年とかですよね設計ないし2年かな。
それからが日本だと言えるかななるほどね。
面白いっすね。
なるほどね。
あるいは1947年の日本国憲法そうっすね、うんかともいえる融資あるいは明治維新からって言うし、いやいやその前からすると日本っていうのはあったんだとかね、それこそ事務店の方がいいと早々頃とかとかっていうのをいろいろルールは、うん日本国というものは、ね、1940年の日本国憲法を持ってっていう話があったり、でも我々はなんかよくわかんない旧石器時代から日本という国が、うん。
ここで言う国は別にひらがなの国みたいなものかもしんないすけど、うん。
なんかそういう感じで言ったりはしますよ。
そういうだし結構今の話一つとっても歴史認識の違いが、そうっすね、多種多様ですねその歴史認識のずれみたいなものが結構なんかこうね、かみ合わない日本って41年からでしょっていう人と、いやいや人ぶってんのか2600年ぐらい前から、っていうのじゃ全然違う違うと思うんですよね。
うん。
だからそういうのでもうかなり歴史っていうのは、何だろう。
何かこう論争的というか、難しいあの底問題をはらんでいる。
いうところからまずは認識ししていきたいわけですね我々としては、うん。
今の話からもおわかりいただけたように、うん、歴史っていうのある観点から、ある出来事を、切り取ったわけですよね、生きとるわけですよね。
そうですね。
そういうときにまずあるフレームワークが必要なわけです。
うん。
それを人とか、うん出来事とか、あるいはあの年とか、なんでそのあるフレームワークがあって、あるいはあるいはあるいはですけども、ちょっと難しいもしかして難しい話になるかもしれないけど、例えばだからあの、社会はだんだん発展していったとかね、それを答えたら近代にかけて、あの、どんどんどんどん発展してるんだと。
そういう歴史館とかももちろんあるわけじゃないすか。
いやいやこれは発展じゃないんだみたいな、とかもありうるし、うんそういうだから見方によっては見方のことフレームワークっていうわけですけども、あるフレームワークに沿って、あのね、事実を収集するっていうことになっていくので、ここの立場にもある趣向や歴史家っていうものは客観的に事実を把握できるんだっていう立場ですね。
いやいやどうしたって主観が入るんだみたいな立場があったりもするんですけども、うん。
もちろんそういう体制は起こりますよね。
うん。
あるいは歴史認識でも侵略っていうのが進出っていうのか、あるいは太平洋戦争っていうか大東戦争っていうのかとか、うんあるいはね楠雅史が生きてた南朝正統とするのは北朝正当とするのかと全部含めてですね、やっぱり特定の何かある種の見方みたいなものに依存してくるわけですね。
なのでそうである以上その歴史っていうものは何だろうな。
もっと言ってしまうとだから歴史家をあるいは歴史を扱う人たちっていうのは過去のこと全てを体験してるわけではないので、うん。
ではですねだって我々だって、自分史を例えばね、10何年とか19年とか20年とか、そういうスパンで自分史を構成してくださいってもうこれ選ぶじゃない。
うん、このこともあったけども、みたいな。
これは覚えてないとか、あるいはこれは何か自分の今のストーリー上、別にいらないなとか、うん。
だからそういうの全部入れ込んじゃうと、何か事実が何か卵ちゃってあるだけで、何言ってんだかわかんないみたいな感じになったりするのでやっぱりそのある、ある取捨選択をしないと歴史っていうものは作れないわけですね。
ていうのでやっぱり歴史というのはやっぱりヒストリーなストーリーなんです。
なるほど。
何かヒストリーなわけですよ。
ていうので、そういうような側面があるので歴史というものはかなりいろいろ扱いが難しい概念でもあるってことですね。
うん。
歴史っていろいろ難しいっていう話はしたんですけども、何か共通してるとすれば、何だろう、このもう起こってしまったことを扱うというかこうです(ですねいわゆる過去っていうものを扱うというのは、なんかすごい広がりのある歴史の中でもうんあるわけですけどこの過去っていうことをさらに厳密に考えていくと、もう1秒前は過去なのかとかですね。
なるほど。
うん、そうです。
いつからかこの間、みたいな。
そうか作り続けるっていう意味合いでいうと今も過去であると思うんですねだから我々も過去に足を振り続けているわけなのでこれは歴史って言えるのかとかね、とかちょっとやっぱり考えますね。
うん。
いわゆる同時代知ってい一体いつからこう、確定できるんだとかね。
確かにいつから歴史として扱えるのかとかですね。
うん。
ある種そういうときにやっぱりまた見方が必要なんですねなんかエポックメイキングとかはよく言うじゃないすか。
うん。
ちょっとやっぱなんかこうね、あの音楽のシーンでも、なんかこの人エポックメーカーでとか、ビートルズがストレスだとかね、ビートルズがエポックメイキングしてたときはだからもうなんか、でもそのしてる最中これがエポックメイキングなのかどうかわかんないわけですから、その後で振り返って、動員数がすごいとか、やっぱりそのみんなビートルズの影響を受けた曲調だよねとかそういうのがわかってから私達は僕メーカーだよねあそこそういうふうに反射的に考えられるものなんです。
そうそうそうそう。
ていうので過去の範囲ってかなり伸び縮みするわけですね。
うんだからだよって言ってしまえば今ビッグヒストリーみたいなことが言われたりするけどそういうとこ宇宙の誕生から始めますから、うん。
そして宇宙の誕生からある種宇宙の終わりまでを射程に入れるってこともできます。
しかも未来っていう歴史となれば、林物理学とかそういう自然科学の発展によって、ある程度チューバねどういう形をしてるかとか、どうなっていくのかっていうのも予想できてしまうし。
うん。
地球がいつ滅びるのかとか太陽がいつ滅びるとかっていうのがですねある種わかってしまうわけなので、そうなってくると見ないっていうものも歴史の中に含んでくるし、うん。
同時代の金であれば近代史とか中性子とかそういう区分を作ったりしてやるとか、だからその区分のとり方次第で結構なんか歴史の区分変わってしまうわけですね。
なんかヨーロッパでは古代中世近代なわけですけど日本はその古代中世近世近代ある。
はあ、江戸時代は近世、中世とちょっと違う原理で動いていた
なので、金銭して、ただ近代ではないので、その近代とは言わないから何か近世みたいな感じにするイメージとかといった産業革命以降とかあるいは近代革命国民効果があって産業が発達してるじゃないけども、中世までの原理であった封建制。
つまり土地制度、うん。
でのそのつもり省エネ性なんですけれども小編成とは違う足の甲、あの石高制っていうのが、なんか加賀1百万石というやつですよね、ああいうふうになったので、これは明らかに中世とはその社会の仕組みが違うけども、近代ともいえないとか、うん、うん、なんかそういうのでいろいろ作ったりとかして、だからその同時代9分区分するかっていうのも結構発明品だったり、するわけですね。
はい。
ていうので、あの歴史っていう不安は本当にこうかも書く行為なんかつまりもう1秒ごとにあらゆるものが括弧になっている以上、そして今ね、世界で100億人ぐらいでしたっけ。
はい。
100億人のね、人生がもう一瞬一瞬過去ってことになってくると、毎秒毎秒100億円分の何か人生が溜まっていっているわけなのでないるわけなのでそれを全て扱うことは到底人間には不可能ですし全ての人間が言ってかかっても意味がないわけなんです。
うん。
各いうわけなので歴史っていうのはもっとこうね、歴史って何か大文字の歴史というか単数系の歴史でやっぱり捉えられない、Historyずとして捉えるうん、歴史館というかストーリーズで捉えるという視点がやっぱり結構大事になってくるんじゃないかとメタ的に考えますよ。
うん。
大事になってくるんじゃないかなっていうのがあるので、そういう観点から、なんかこうだからどうしても、何だろうあのね歴史って事実が集まっただけでしょっていうね、それ覚えればいいんでしょみたいなね、ところもあると思うんですけど実はむしろ歴史って大変なビックな。
うん。
あるいは歴史学ってダイナミックなものであって、ありうるということですね。
うん。
ていうことが一つあるんじゃないかなっていうか、そういうことを意識して見てみると結構面白いんじゃないかなっていうその単純な暗記科目ではなくって、ね、だから資料集と教科書の記述突き合わせてどういう時代だったんだろうとか自分の頭で考えてたりとかいろいろ今ネットで調べられるじゃないですか。
うん。
もちろんネットにはあのね、良い情報と悪い情報があるので、多少リテラシーみたい大事ですけれどもいろいろ調べて、その資料を持ってっていういろいろ考えてみるっていうのが歴史学の面白さまで歴史を学ぶことの面白さなんじゃないかなっていうふうには思ったりしますね。
はい、うんっていうことで、今紙資料というねものがキーワードとして出てきたわけですけれども、はい、はい。
いろいろ過去って過去いっぱいあるわけじゃないすか。
はい。
そ、過去、過去が本当にその過去として成立するためには何が必要かっていう話なんですよね。
だって妄想でもいいわけじゃない情報っすよね起こすね。
それがいわゆる資料といううん。
妄想じゃ駄目なわけですやっぱり、うん。
まあねその、よくできた妄想ってのもあるので、いいですよその辺結構ちゃんと注意しないといけないと思うんすけど、だから、すごい根拠に根拠がある。
追い越そうとかっていうのも結構あるんでそれはあのRevisionシストというか歴史修正主義みたいなもの問題とは部分的にかぶってきますけど、うん。
ただだからつまり歴史過去にはある種過去がそのように存在していたという資料が、必要なわけなんですけどこれも難しくて今あのねウクライナとロシアでもかなり情報戦争みたいなところもあるじゃないですか。
だから、その資料が残っててもそれ本当かどうなのかっていうのも、確かに運だ基本的に歴史学っていうと一次史料に当たりなさいというわけですけども一次史料が誤ってる可能性もあるという。
ことをですね、念頭にしていかなきゃいけない、一次資料というのはつまり原文ということですよただ一次史料に当たっていければいいんですけど、一次史料がその正しさを証明するために辞書がどのようにして作られたかとか、どのような人によって書かれたうんとか何か総集編的な職種になってくるのでだからかなり皆さんがなんとなしにさらっと読んでしまう1行の間にも、もう歴史学者たちのですね、苦闘があるというかしあの、資料なんて、そんな図書館に行けば置いてるは置いてたわけではないので、うん、一生懸命探しに行くわけですね。
うん。
一応使って、うん、発見したみたい。
よしみたいなので、それを論文にして、うん。
それがある程度以上、あの君の説を正しそうだねっていう学会での承認を得て、うん、やっとこの教科書に事業を取るっていうか、うん。
これ1豪ドルだかあの日本酒のね、歴史の教科書300ページとか100ページとか、中にはもうなんかこう、もうとてつもない苦労が詰まっていて、何かあの欠けているということがね、あるわけですね。
だからその
ある種の特定の、そのフレームワークと同様にして、何かそのフレーズその資料が必要になってくるわけですこの両方使って初めて成立するっていうのが、歴史学っていういつまでですね。
うんっていうのでそう考えるともっとね面白くなったという資料の大事さというか、うん、まだ教科書だけ見てる読んでるととかあるいは何かYouTubeとかね、ポッドキャストとかもそうかもしれないですけどうん聞いてたらなんとなく歴史わかったふうになると思うんですけど、そうっすよね、あっちゃんとかにね。
勢いよくそう教えてもらえると、根井は過渡期になっちゃいますよねすぐになるんですけども、やっぱり本当にやっぱり大事なのはやっぱり一次史料うん当たってみるとかあるいは一次医療に与えるほど何かこう、なんだろう、気力がとか別に時間がなくても、一時使用というのはちゃんとあるんだなとかっていうね、ことをですね頭に入れておくか無知の知みたいなことですよね。
そうですね。
だから、歴史の見方とか、歴史の感じ方とか使い方とかっていうのは、やっぱり変わってくるんじゃないかなというふうに思うわけですけども、この資料、何か、例えばどんなようなものが資料になると思いますか。
何だろう、例えばなんだろう農耕の時代とかだったら、農具とかそうですね。
なんかそういうイメージありますね、青銅器とかなんか同期とかですみたいな物とかそうそう、工学的なそうですね過去の物ですよね、過去に作られたものである。
でもそれはね歴史学だけの知識じゃ駄目で考古学とかで地質学とかですね、うん。
ある特定の特定の時代に積み重なった地層に蚊が見つかったか大体年代が波測定できるとか、うん。
その周辺にあったので放射性同位体のその崩壊のあれがあるんですけど、半減期っていうんですけど、
そういうものを調べたりとかも別の領域の知識とかも、使ってやっと年代が測定できる方がいるのでそういう何だろう。
道具とかへきだとか、うん。
なんだそういう何か考古学的な異物とかですねうん。
あと他に何があると思います。
あとは何だろう。
歴史の要は証拠ですよね。
それこそでも妄想一番ぱっと思いつくは文章だと思うんですけど。
ではそっかそっか。
でもそれがもうそうなるかって話じゃなくて、どういうことですか。
要はそれがある種、何だろう、それのが真実かどうかはね、はいもちろんそうですけどただ結構過去に書かれたものだと難しいですよね。
うんだからもう、多分ある種信頼できるものとしてっていう感じんほど使ったりそれを多分正しさを測定するためいろいろ手法があると思う。
うん。
文書ですよ、文書公的文書とか私的うん。
あとは文章がいいんだ、例えば他の口語的な伝承とかですね、昔話とか、そういうのもその多分その本歴史学の立場によって変わるんですけど、ね、そういうものは資料に含めたりする人たちもいますよそうですね平均物語とかですね、今アニメから盛り上がってますけど、両方死んだそういうなんかオールドヒストリーみたいなこと言われたりしますよね。
つまり、同時代人で生きてたら結婚の重要な例えば戦争経験してたら同じヒストリーが非常に重要な意味を持つとか、はい。
だからそれも語りっていうのも、文章の他に語りっていうのも全然歴史的資料として困るし、考古学的な異物とか、うんそういうもあるわけで、
けれどもうん。
ただ基本的にはですね文書中心主義で歴史学とみなされてきたわけですよ。
うん。
これはその語りをじゃあ何で歴史に入れ、歴史の資料として認めるか認めないかみたいな話になるかって言ったやっぱり文章って文章を書ける人はどういう人なんだろう。
そうか、そもそも式Gが率が低いから、そもそも賢い人じゃないと関係ないと文章の歴史ってエリートの歴史に自然的にどうしてもなるほどもちろん部とかっていうのは工学的なものはある民間の人もあれですけども、ていうのでですね、どうしてもエリートが見た世界を、さらにっていうね、うん。
結構どうしても上がってしまったりするので、うん。
あれどこでも我々はね今もしいっぱい残してますけどでも公文書じゃないので、そうっすね。
はい。
ていう話なんですね。
それが誰も書けなかったわけですよだから。
だから民家の農民の人とか例えばちょっと書けない人が、うんこういうような要求をしてきたっていうふうに書くのは、そのエリート顔の人たちのうん。
本当に何を要求したかは不明不明ですよね。
そうっすね。
確かエリート側からの視点しか取られてないと捉えてないので実はエリートが1個言ってたけれども、何だろう。
元の本当の趣旨はそうじゃなかったっていう可能性も、うん。
あるわけちゃうわけなんです。
常に他の可能性があるっていうのは今度また歴史修正主義予知なってしまう。
そういう問題もあるんですけども。
うん。
だから、だからそういう意味で、結構遅の民間のその節は取った。
語り口とかっていう、その文化とかあるいは身体化されたその表現とか、うん、あるいは芸術作品とか、
そういうものをあの積極的に歴史の扱いに入れましょうみたいな運動は、マッタリしたんですね。
うん。
身体的なものっていうと例えば踊りとかお祭りとかってなるほど、そういうある種の生きている文化と受け継がれてきた文化。
みたいな、あるいは部下実績みたいなのもちゃんと入れなきゃいけないっていうので、例えばそういうのとRプラスである爆破っていう人たちですねうん種民間の、あるいはそのある種なんだろあのエリートじゃない人たちの歴史をどう扱うかっていったときに例えばとかとかで残ってるもの使ったりとかですね、やったわけですね。
面白いっすね。
だから例えば子供の誕生という本があったりとか、あるいはですね、地中海世界の交易を扱ったのブロードウェイの地中海底とかですね、潮フェーブとかそういう人たちがいるわけですけども、そういう人たちはですねやっぱりとか、かなり多様に使ったりしますよね。
方で何か昔のでは、何か子供たちが普通に大人として扱われていてとか、いつも世代から子供はまとめるべき対象として変わっていくのかとかそういうものを声を使って調べたり、する。
ことがたりするので、これは結構だから何だろう文章だけじゃなくてこのかたにも大事だよねっていうのは結構なんか、かなり強烈な批判でもあったっていうことですね。
どういうものを資料として認めるかっていうそのもの自体にも、結構何か問題がはらんはらんでいるんだ実際っていうところは何かさらに歴史のちょっと資料の面白さみたいなものを感じ取ってくれたのではないかなっていう。
うん。
あと異物とかですね製造機とかね、そういうときには他の周辺の科学的な知識とか、その年代測定法みたいなものを使ったり、
がやったりするのでそういうことの何か歴史学の小分野横断性みたいなうん理解していただけたらちょっと面白いかなとかいうふうに言うわけですねっていうことですねある種物の利用によってはですねいろんな、もうあらゆるものが資料になりうるわけですよ。
うん。
今ポッドキャストもある種資料になりますよね。
うん。
だから21世紀ある種、その20002022年末にはこういう何か取り組みがあったとか、うんポッドキャストなる音声メディアうん、いろいろ残ってるか聞いてみたらみたいなこういう話題が夫でとかね。
どうぞ学校では教員が筋を切ってスタンドマイクを変えるとポッドキャストなんかお笑い芸人がいっぱい参加してみたいなとかうん、なんかそういうものも全部資料になったりするわけですし、このMacBookとかもですね異物になる可能性ありますよね。
はあ。
なんかすごいオーパーツみたいな話じゃないですもしかしたらかもしれないですよねそうですね22年の人類はこんな高度なものを発明していたみたいなんなんか日産3000年くらいに何かあの暗黒の取材があってみたいな、うんそっから何かあの分割文明が潰えていたけれども実は2020年の地層からMacBookみたいなものが出てきて何かを調べると、非常に高度なみたいな、うん。
こんなことできていたのか準備は我々と変わらない。
そんなことねいえる可能性だってあるわけですよ。
うん。
あれは服とかもそうですね。
そうですね222022年の服はこんな感じでしたみたいな。
うん。
トレンドみたいのありますしね我々の時代って、今の話でゆちょっとあれでちょちょっと脱線するんですけど、我々の時代ってやっぱりその歴史、その歴史家の
歴史化のタイミングが早いというか、自分たちが生きてる段階に進む常に既に歴史化してるわけじゃないですか。
具体的に申し上げると、うん。
1970年度の服装はこんな感じだったとか。
なるほど年度以降で1090年代以降で、2000年代以降ねみたいな、それこそ今の若者はみんなタピオカ飲むから飲むよねみたいなことも含めてですよね。
けど今タピオカブームだよねとかそういうその、常に何か歴史に対する反省的な目線を持っちゃって、持つことができてしまっている、うん。
例えばなんかもう我々が2010年代ってこういう時代だったよねとか言えちゃう言えますね。
これすごいっていうか、結構多分今の人類の歴史的に言うと、これなんか多分これはかなりすごいことってすごいかなり歴史化が進んでいるというかですね斎木的な歴史家というか、うん。
常に何か歴史的な目を見て自分たちの住んでいる時代とか社会とか見るとかねそういうことできるようになってしまってるってのは面白いっちゃ面白いっすね。
うん。
今度はだから1980年代とか70年代のファッションが再流行するとか、うん。
でもどうしたら生きてた人が触ったりとかそういうあるわけじゃないですか。
うん。
そういうところは現代がいかに我々がいかに無意識のうちに歴史というものを扱っているかというか、うん。
70年代ポップスが好きでとかね、うん、いや言っちゃってますね僕ね、言っちゃえるじゃないですよ言っちゃってるとか言っちゃえることが結構すごいと思うんです。
うん。
でも既にもう50年ぐらい前はもう完全に歴史的なモーメントがあったと思うとして、あるいはその1970年代を象徴する何かムーブがあったみたいなね。
うん。
そういう感じも見てるわけですよ。
だから70年代ポップスって言ったって、みたいなさ。
当時いろんな多分音楽あったはずですよ。
そうですね。
でも、何かあるものを切り取って70円でポップスはこうでとかね。
90年代は何かあのコンビのだとかさ、うんはあったはずなんです。
うん。
その中で、やっぱこの人の時代だよね。
うん。
そこはもう約30年、あるいはそういうものだ我々の時代に行ってたから例えば何かオレンジレンジだと思ういろいろ言ったわけですよ。
うん。
なんか長いの時代で、なんかこう、すごいポップな超ポップな音楽を作って、うん。
うん。
なんかそういう感じで詰め、歴史的な反省をして、我々が生きていた時代をすぐに歴史化するっていうのはかなり面白い。
いうことですね。
うん。
ちょっと本筋から撮影したんですけどそういう意味でももうなんかもう至るところに我々至るものの資料として見てるんです。
うん。
音楽とか、そうですね。
ていうのがそういう意味ではちょっとね、もうちょっと何か歴史身近なものとして感じられていったんではないかなというふうに思ったりはしますと。
うん。
いうことですね最後のキーワード今まで歴史って何なのって話資料じゃないのって話なんですけど、歴史の見方っていう最後にちょっとキーワードというかものについて最後話していきたいと思うんですけれども、こういうようにですね今もうほとんど話してきたことまとめなんですけれども、歴史館と何か資料というね、いわゆる事実と事実をまとめるそのフレームワークみたいな二つが機能して初めて歴史というのが、駆動していくわけですね歴史というものが作られていくというので、あれは市町村歴史館もつまり歴史の見方、歴史のフレームワーク自体も多様だし、その資料の種類も多様なので、やっぱりヒストリー図になるんだっていうようなお話をですね、ずっとしてきたわけなんですけれども。
いかにフレームワーク多様化みたいな話なんですけどこれをまとめると、編年体とかそういう注目すべき元気全体があったりとかある種歴史が発展するんだっていうようなものに、なんかつまり発展史観みたいなものですね、その近代に行けば行くほど発展するんだって見方もあるし、なんかこうある技術が何だろう、時代を変えたんだってやっぱこれ社会的技術士とか言ったりするわけですね。
だからもう何とかもう無現道史があるわけです。
このフレームワークの取り方、うん例えば家族史とか、歴史教育の歴史、子供の歴史、それこそさっき言うと音楽誌とかそうそう音楽の歴史とか、それなりに注目するからもやっぱ全然違うと言うとうんうん。
ていうのはですね、あるいは歴史を法則的に見るのか、いやそういったそんなものなくて、事実があるだけなんだっていうふうに見えるのかなうん。
歴史から何だろう。
語りみたいな語り手要は信用できねって話なんですよ。
なぜかした記憶って間違えて嘘つきじゃないすんだけどどこまで信頼していいのかとか、やっぱり公的文書でちゃんとね、文書認められたものしかやっぱり歴史学は使っちゃ駄目なんじゃないかと。
ですね。
であればその歴史学の中でも、ただただ単純にその事実をただただその資料で発見した事実を書いていくだけだっていう立場もあれば、いやいやそんなのじゃなくてやっぱりある種の例も、ものの見方を提示しないといけない、ある種の歴史観を作らなきゃいけないんだっていう立場の人たちもいますよね。
うん。
例えばだからどういうことかっていうと例えば戦国時代ってこういう時代だったんだって言うのが歴史学の役割だった人と、いや、
戦国時代そんなこと言えないから、むしろ何かちゃんと資料を探して、一次史料発見して、その資料の中で言えることをただただ報告していくんだっていうそういう立場の人たちももちろんいますし。
うん。
いや、あれはですね何だろう、人間だけの歴史扱ってていいのかとか、ああ、なるほど。
うん。
いやだから宇宙とかの大事業環境とかのものも含めた歴史だ。
いや最近ちょっとやっぱりそのね公衆衛生士の中でも、その何だろう、病院って金とかそういうものに注目して歴史を構成しようという人たちも行ったりしますよね。
うん。
ウイルスとかウイルスの歴史みたいな。
うん。
人間関係だそだウイルスが主で、ウイルスに関する人間はどっちかっていうと中というか、うんっていうふうなふうな記述をする人もいますし、ていうので、フレームワークもやっぱりかなり複数ですよね。
うん話をしていきたい、していったわけですけども、そういう資料何か申し上げるような資料の複数性とこのフレームワークの複数性、この二つ合わせてかなり歴史が複数なものになっていくということがまずは多分ご理解いただけるといいかなっていうのはやっぱこの際、歴史学第1回というか僕も別に歴史学専門じゃない歴史学と言えることじゃないかもしれないけど歴史の見方というものはこういうものであってだから見てる知ってる歴史が全てではないし、うん。
自分が思う瞬間が全てもないですしさんがもう全てでもないしいろんなものの見方、歴史の見方ってもあるし、ちゃんとその資料に基づいていなければならないと、うん。
いうことですね。
口酸っぱく、
嫌なやつ結構歴史って理系っていうかセンシティブな問題を含んだいたりして歴史感の違いがね、それこそね。
いや歴史館違いでもうね、人を実演したりあるいは戦争を仕掛けたりすることは、ありますので、うん。
もう結構怖いという感じですね。
中1歴史っていう話ですね。
ていう感じで大体今回のお話は、こんな感じというか、なんですけども最後なんかちょっと感想戦みたいなんで、どう思ったのかなという意見。
彼は感想みたいな、聞いていきたいですけどなんか歴史今日も今日同じ歴史あるよみたいな話をしたときに、何かどんなことやるんだろうと思ってその日本日本酒とかそれこそ何か、それこそ何だ編年体っていうやつか、それでそういう感じで解説する授業が始まるのかなと思ったら、歴史とラフの歴史観であるフレームワークと、何か資料によって次の事実やって真実がある程度作られていくよみたいな話から始まってなるほどみたいな教科書がどうできてるのかって考えたことないじゃないすか、もうそこから普通になるほどなみたいな。
これで、何かこういうこともあるんだなみたいなのがわかったっていうのとあと面白かったのが、再帰的な駅しかみたいな話があって、僕結構ギレンずさんとかの再帰的近代みたいな枠組みが結構好きで、はい僕は僕を中心としたねとかいうというか、その僕もそれも主観でしかないのあれなんすけど、僕らが含まれる若者が日本の若者は苦しん苦しんでいるというのがあって結構最適な側面がす。
によって苦しんでるんじゃないかみたいな、うん。
仮説がかなりあると思うんですけどそれが、
結構僕実はそんなにいけない言葉で、また自分でも最終的になり続けていいんじゃないかみたいな、ついさっきとかも、俺らってみたいなアニメポケットモンスターだったらダイヤモンドパール世代だよねとか言ってて、と思って、これが最適な歴史家かなと思ってこういうことなのだなんだと思って、何だろう、面白い反面難しいなと思って、難しいっていうのは要はこれによって、ある種、ただ楽しんでいただけのものが、何だろう、一つ言葉によって規定されてしまうっていうなるほど。
はい。
ある種、枠組みによって苦しめられる可能性がね、どんなに痩せないだからって言ってもそんなないと思いますけど、これが大きなものになればなるほど例えば日本人であるとか、はい。
難しい話ですけど、そういう状況になりうるなと思ってね、かなりなんだろう。
再帰的な歴史家っていうのは、取り扱い注意な概念ではあるなと思って、そういう意味からも、こういうふうに歴史を学べてすごい面白かったですね。
なるほどね。
はい。
だから確かにねね我々の世代はとか言っちゃいがちですから。
はい。
はい。
それが確かに日本はとかなる主語が大きくなることもあれば、なるほど、いろいろなものを多分切り捨ててしまうそうなんですよね。
うん、規制ってどういうことかって言ったらまさにあの反省するというか、うん。
常に何か問い直し続けて、何か常にあの(ないしはその未来、その今ではないものを常にあの対象にして反省して、何かこう、それを繰り返して、うん常に常に何かそこをチェックしていや違う、いや違うみたいな感じで問い直すみたいな思考法なんですけれども、うん。
でね、いや、だからそれで我々5年前とかでも、何か我々の世代ってこれ見てたよね。
いやね居酒屋談義ですけども、いや、最近ってやっぱりみんなYouTubeだから、共通のないんだよね、これが最後の世代だよねとかね庄司ちゃいがちじゃないですか。
でもそれは常に自分たちの歴史を、世代間みたいな運勢って結構、多分何かいろんなテスト好きだと思うんですよ。
うん、好きですね正直だから、いやそうはわかる染めたみたいな多層あったよねみたいな話するときやっぱ楽しいんですけど、ただその最後で多分いろんなものが切り捨てられそうですよねいや、他にもいろいろあったでしょみたいなうんそう見えなくなってくるので、うん。
難しいっすねでねやっぱりそうなると、そうなるとそれこそやっぱりね、日本とか世界とかあるいは戦争とか、うん。
うん。
何かそういうもので使うと、何かいろんなものを吸収してそれしか見えなくなってくると、何か火種になったり、うん。
どうしてもしてしまうっていうのがやっぱりこうある。
ですよね。
うん。
そこがやっぱり歴史の面白いところでもあり、そうですね。
ちょっとねちょっと気をつけなければならないところであるっていうか、うん。
本当にだからあの教科書を見たすごい歴史ってスタティックというか何か個性再生してるというか、うんもうねあんまり何か変化があるような感じだと思うんすけど今日お話したような感じ形すげえ何か変わりうん。
変わりうるのは何か面白さでもあるし危険なところでもあるっていう。
のはやっぱりなんかこうね、何度言ってもね言わなきゃ、はい。
そうですね。
いけないっちゅうかね
そういうのでちゃんと資料に基づいて議論しましょうとかそういう話があったり、うん、多分これから何かの歴史日本の歴史教育とかも結構資料重視なってくるのかなわかんないすけどうんでね実はちょっとこれは原子vs加藤兄弟が逆のですね日本酒の入社ですね、資料を読ませるんですね。
ふうん。
多分あの高校生よっぽどの歴史オタクじゃなければ、あの見たこともないようですね資料がですね、提示されてますねへえ、資料と自分が持ってるその歴史の知識を組み合わせてですね、この資料からどういうことが言えるかください。
そういうことが結構あったりして、結構なんかさ、入社問題としてやっぱりいいというか、歴史ってそういうことだよねっていう。
はあはあ。
なんかすごいなんかよく出ているなっていうことなので、あの、あの東大の歴史、日本史とか世界史ってそんなになんかすごい糞難しいとかじゃないしなんかこう、あの知らない知識いっぱい出てくるとかじゃなくてうんてる知識を組み合わせていかにあった資料と対話して、何か歴史観をし、何か自分なんかなんだろうな、ある種その時代のことをこう表現しますかっていう、うん。
あれなので、結構いい問題だと思うんですね。
うん。
高校生とか学ぶあるいはでも、社会人の方とかでも、中学生で何かちょっと歴史って何でも結構みたら、面白いこともあるんじゃないかなと僕は思ってるんですけども、そういうなんか感じで割とどうしても覚えてなんかあんだっけみたいなうん。
これ何だっけな、頭とボスみたいなわかんねよみたいな首輪で出てるみたいなここまで出かかってるみたいなんだなっていう、あれだみたいなねうちもこれ記者歴史だそれもそれであの知識として事実を知ってるなと。
大事なことだと思うんですけれども、そうじゃないそこに歴史の本筋があるんじゃなくてね、うん。
実際資料と自分が持っている歴史感とか歴史知識とかは組み合わせて、どうその時代を捉えていくかとか、うん。
この資料からわかることどこまで言えるのかとかですね、そういうことをやっていくと、結構歴史好きになるんじゃないかなっていうと、そういう意味で何か歴史の教科書とかをそういう観点から小4で資料集片手に置いて読むとかですね、うんあるいはネットでこのね今、近世の歴史とか近代化の歴史だと思う今結構YouTubeでいろんな映像集とかも上がってるので、何かマルチメディアに石を学んで、行くのがやっぱりいろんな資料を活用するってのが大事だと思うので、マルチメディア館で歴史をこうやって勉強していったらいいと思うし、やっぱり一つのソースから歴史を信じない方がいいですよね。
うんそうですね。
偏っていう要素だけなので、あのマルチメディアマルチソースというか、うん、いろいろ触れてみるって本当に地方とか歴史館とかでも違えば扱ってる時代が同じでも全く違う世界が、総合型の形がですね、顔が見えてくると思うので、うん。
歴史に興味がある人ほどね、結構偏りがちになっちゃうと思うんですよどうしても何かこの人が好きとか、うん上がると思うんで、うん。
だからあの歴史が好きな減った方ですねやっぱり何かいろんな文献とかメディアとかに触れていろんな観点から歴史を見てまさにヒストリーずとしての歴史あの複数形としての歴史というものを体感する体感するというかな。
ちゃんとこう考えて、言ってくれればいいなというふうには思ってます。
うん。
うん。
ということでですね、次回からはですね、一応あのビッグヒストリーっていうところがですね、帰ってきたいと思うんですけれども、大きな歴史館みたいな宇宙の誕生から未来みたいなそういう何か歴史の何か大きな見取り図みたいなものをお話してから、いわゆる我々が小中高になるな細かな歴史というか、各国の歴史っていうかあるいは時代ごとの歴史とですね、そういうものに踏み込んでいければいいなというふうに思っておりますので、ちょっとそちらの本本編中でも今回は何か準備編というか、うんそもそも歴史ってどういうつもりなんだろうとか歴史って概念ってどういうことなんだろうみたいなことをお話してきたんですがまだ次回からはそういう話をしていくんですけどもこれもあくまでも、ピースとリーズの一つでしかない。
うん何とかさんが言ってたからとかじゃなくてまずはもう我々もメディア声をというメディアを通じて、こういうものの見方みたいなものをお伝えしていきますので、これがあの事実だとかですね。
だからやっぱり大切ですよね、その歴史っていうのはやっぱヒストリー図でしかないんですよね思考の対象であって、自分自身を当てはめるその枠組みじゃないですよね、やっぱり対象であり続けることが一番大切だとですねはいということでですね、ヒストリーずということを合言葉にして、歴史と付き合っていけいいきたいということでですね、歴史学第1回目はこんな感じで終わりにしたいと思います。
で、あのルックス数はですねアカデミアですねこういう感じで毎週月曜日アップしていろんな額もあのね、あげていますので、他の聞いてほしいですし、ぜひ
フォローするツイッターのフォローを行った後はポッドキャストの方っすねフォローしていただければ、月曜日に更新していますし、はい。
他にもですねはい、ルークストークLOOXメンバー自由に議論する数X遠くトピックスですね、次に若者と語る若者からニュース番組見ている楠トピックスとかですね、LOOXあの部会という本を通じてね、もうそれって世界だけもっと細かい、例えば今のおっしゃったすごいざっくりした総論みたいな紙ですけどそっちでわけっこ網を通じて本の具体的な話とか、そっから広がる世界の話うん。
しますし、あとはリックススペシャルというルークスとCo-LaVoブックスの外部の方とちょっとコラボして、教育×Xで未来の教育を考えていこう、そういう番組ですとか、うん。
それらのアフタートークショーを集めた放課後チャンネルですねお写真ですね。
うん。
とかいろいろやってますのであと面白いなと思えた方いろんなね、メディアの方も、足を運んで、あのルークスと検索していただければ、うん。
NOCHSですね。
違うか。
LOHCSですね。
はい。
ちょっとね、若い様ですけど合言葉のスクールを逆から読んだということでスクールって学校のことですけど、そういうことで知識検索していただけると出てくると。
既存の学校ひっくり返しますよねはいことですねということで、他にも、最後の宣伝になってしまう他にもいろいろやってますのでぜひ見て、秋未定じゃないですか聞いてください。
はい。
今回ですね、日下ゼミはこんな感じで終わりにしたいと思います側アルプス社取締役の谷口と学生の医師でしたありがとうございました。